年に一度しかないから

たまにはマジメに考えてみる。

 さて、明日(正確には6日未明に書いているので今日か)は年に一度、
広島が世界にメッセージを発信する(近年はそれも怪しくなってきたが)
日である。まあ、この地に住んでいるとこの時期は嫌でもテレビ局が
大量に特番を組み、そして新聞社もこぞって特集を組むので寝ても覚めても
この話題に終始する感がある(そんなにやるなら量を減らす代わりに一年間
定期的にやればいいじゃないかとたまに思うがまあ仕方ないのだろう)。
何せここは世界で2箇所しかない被爆地広島なのである。

そう、ここは被爆地広島。これがまた曲者で、ただでさえ多い情報が殆ど
一方的に被害者の視点で語られているものになる。まあ仕方ないのだが、
あくまで物事の判断というものは両者からの情報を公平に分析して決めるもの
だとするとちょっと問題があるような気もする。まあ、日本は敗戦国だから、
どうしても被害者目線で「戦争は悪だ」一辺倒になるのは仕方ない事ではあるが。
ネットの世界には右寄りがやや多いと思う。そして世間的には恐らくやや左寄り
が多いという事になるのだろう。まあそれはそれでバランス的にはいいのかも
しれないが、自分は一体どうなんだろうかと少しだけ考えてみたりする。まあ、
考えたところであんまり意味がある訳でもないのだが。
人間は争う生き物である(その理由はいろいろあるが究極的には今よりいい生活
がしたいという事になるのだろうか)。戦争をこの世から廃絶する事など不可能
だと思っているし、どんなに頑張っても核兵器を廃絶する事もまた不可能だろう。
なぜなら、戦争がある限り勝つために兵器は進化するのである。その行き着く先が
核兵器でも別に驚きはしない(ただし、それを使うとなれば別問題である)。

ただ、わが街に起こったこの悲劇を語り継ぐ事はできる。そして、そうする事が
ひょっとしたら第三、第四の悲劇を起こさないことに繋がる、かもしれない。もし
そうなるならそれに越した事はない…さて、自分にはこの悲劇を語り継ぐ力がある
のか、残念ながらそれはまだ分からない。